ミャンマー取材珍道中 ( 平成6年 1994年 )その3
ミャンマーが「仏教国」であることは最初に書きましたが、確かに街中には黄色い袈裟を着た「お坊さん」の比率が多いようです。この国では通常「仏教徒」であれば、ある年齢に達するとお寺へ修行に行かなくてはいけないそうです。
それでお坊さんは尊敬の対象になっていて、さらにあらゆる場所で優遇されるようで、バス、鉄道など交通機関は全て無料。また托鉢のお坊さんには必ず食料やお金を渡さなくてはいけないとのこと。
で・・・
私たちがその「仏教国」の「洗礼」を浴びたのは、確かマンダレーでの取材の時。
山頂のあるお寺へ行くのに「タクシー」(ホロ荷台つきのポンコツ小型トラック)を「チャーター」したときのこと。
ガタガタと舗装もしていない山道を走っていると、路肩で手を挙げているお坊さんが2、3人。すると私たちの「タクシー」がいきなり停まって、そのお坊さんたちがぞろぞろと乗ってきて、荷台に座っている私たちの横に座ってきたものです。
「おいおい・・」
またしばらく走ると同じように手を挙げている「お坊さんご一行」が・・・
ただでさえ狭い荷台が私たちとお坊さんでいっぱいになってしまいました。
「これ、チャーターしたんじゃないの?」とガイドに聞くと、
「仕方ないんですよ。運転手もお坊さんを乗せないと後でひどい目にあうから。」
「・・・・」
そして目的地のお寺につくと、お坊さんたちは私たちに「お礼」の一言もなく、さっさと降りてお寺に向かってゆくのでした。
もう笑うしかありません。「郷に入れば郷に従え」です。帰りの「チャータータクシー」でも同様の「お坊さんラッシュ」に見舞われたことは言うまでもありません。
話がちょっとそれますが、東南アジアの他の国では必ずと言っていいほど、街中の路上に「乞食」や貧しい「物売り」が多数出没します。多くが小学生くらいの子供だったりしますが、やはり発展途上国には、 そういう貧富の差による底辺部分がどうしても存在してしまうんでしょうね。
ところが他の東南アジアの国々よりはるかに貧しい国ミャンマーには乞食のたぐいがほとんど見当たらなかったんです。規制がきびしくて取り締まっているというのではなさそうで、ガイドのミャンマー人にそのことを質問すると、
「ミャンマーでは貧しければ、お坊さんになる。お坊さんになれば、とりあえずは衣食住には困らない。」
ということでした。
ん?、確かに納得。でももう一つは
「国全体が貧しいので国民みんなが貧しい。貧富の差の程度があまりないので、地域で助け合っている部分がかなりある。貧しく飢えている子供にはまわりの人たちが必ず面倒をみてやる。」
とのことでした。
ミャンマーに10日間くらいでしたか、滞在して感じたのは、「人の幸せ」とはなんだろう?ということです。
この国の人々は金銭的には貧しい生活を強いられていますが、決して不幸ではない。むしろ日々の生活をのんびりと豊かに楽しんでいるように感じられます。
経済的に裕福で贅沢な暮しになれてしまった日本人。でも、ちょっとした不満や不平で争いや事件まで起こすことさえある現代です。そんな私たちは「心の豊かさ」のようなものを忘れてしまっているではないか?「人の幸せ」とは「金銭的な豊かさ」だけではないのではないか?そんなことをミャンマーという小さな国でつくづく考えてしまったものです。